市民・環境セミナーレポート

第1回
テーマ 「市民活動と環境保全」
講演 なかはら かぜ さん
10月29日(水)午後6時30分〜
新南陽ふれあいセンターにて開催されました。
第2回はコチラ

前半は、なかはら かぜさん の講演です。

なかはらかぜ 氏 講演内容「市民活動と環境保全」 2003.11.29

<はじめに>

地域で仕事をしていますと、知らず知らずのうちに、地域のいろいろな活動団体の皆さんとおつきあいが広がってきます。その中で、どうしても関わりの出てくる部分のひとつにまちづくりがあります。まちづくりを考える時に、商店街を復活させようとかいろいろなまちづくりの形がありますが、私の場合、環境問題にいきついてしまった。最初から積極的に環境問題に携わってきた訳ではないのですが、地元に定住しながらマンガを描くという不思議な仕事をしている関係上、そのいろいろなグループのネットワークの中から、気が付いてみると環境問題にも携わるような立場になっていました。

それが、自分のマンガを書くという仕事にも、不思議なもので、環境に関わる絵を描いたり、マンガを描いたりというような所まで広がって来ました。地元で仕事をしているのだから、そういうことをやれと誰かから言われているのかなと、最近ではそう思っています。そういう立場からのお話しかできませんが、こう思った、子供の頃はこうだったとか、今はこういう活動をしているというところから話をしたいと思いますので、みなさんの共感をもらえるとうれしいです。

<MCデザインの仕事>

今日は先程まで、12:35〜5:00まで、周南市のキャリアデザイン専門学校で指導していました。グラフィックデザインの中のMCデザインというカリキュラムを、毎週水曜日に担当しています。MCデザインというものすごくかっこいいタイトルをつけてもらっていますが、実は「マンガキャラクターデザイン」の略です。単純にどうしたら、マンガのキャラクターを表現できるかを教えています。何故かというと、最近はポスターとかいろいろな配付物――行政だけでなく大企業でもそうですが、今は単純に活字とか写真だけではなく、しかもイラストとかデザインされたポスターとかではなくて、物語性のある(マンガとイラストの違いは、単なる芸術的な絵ではなくて、絵の中にいかにストーリー性・物語性をもたせるか、1Pでも100Pでも一緒で、その中にドラマを感じてもらえるようにマンガは描いている。)そういう意味で説得力のあるマンガが使われることがすごく増えてきた。今やマンガを上手にレイアウトできる技術が必要とされている。みんなが絵を使って、人に何かを訴える、そのためにはどういうキャラクターを作ればよいかということを、2年前から教えています。

そこで、高校卒業後や社会に出てから勉強するという専門学校に来る若い子たちと接することが多く、話をする機会がある訳ですが、以外と今の若い人たちの方が、小学校の頃から環境問題についてのある程度の基礎知識を学んできていますので、実はよく知っているんです。逆に我々の30代後半から40代・50代というのが、ちょっと環境について見落としているところがあるのかなと思えます。子供の頃に、水辺に楽しんで川で遊んだり、野山をかけずりまわっていたくせに、気がついてみると、そこを汚しているのは僕たちの世代だったりします。それが、ものすごく悲しいと感じることがあります。そういうことも含めて、環境問題については、子供の時にきちんと興味を持つきっかけを与えてやることが、ものすごく大切だなと思ったんですね。専門的なマニュアルは必要ないと思っています。この話は後で「きららネット」の活動でも紹介します。

<市民グループをつくったきっかけ――きらら博について>

「きららネット」ができたいきさつの紹介も兼ねて、きらら博のことについてお話しします。きらら博は、博覧会協会という県が作った団体が主催しましたが、博覧会協会というところだけに任せておくと、行政主導型ではやらないと言いながらも、どうしても管理的なものが出てきたりします。(そりゃもちろんないとまとまりがつきませんし、県予算を使ってやる訳ですから必要なのですが)ただ、博覧会そのものを組み立てる時に、代理店さんが入って来たり、県の人が一緒になってやったりすると、堅いものになってしまうので、県民のレベルで、われわれ庶民のレベルで博覧会が作れないんだろうかということで、別にそういう組織を作ろうじゃないかということで、グループを作ったということです。

当時、県に対して、僕たちのような「おもしろい博覧会にしようよ」って手をあげている人達がいて、直接「きらら博でこんなことやらせてよ」って言っても、もう県は他の業務が博覧会に関してはものすごく大変なんで、県民参加だけに関わっていられないんですね。ものすごい予算を使ってあれだけのジャパンエキスポをやった訳ですから。これはえらいことだ。だから、間にひとつコーディネートをする組織を立ち上げよう・・・と。最初は自分たちが何かの形で関われないだろうかということで立ち上げたんですけど、逆に僕等がコーディネートをする役割に自然となってしまいまして・・・。最初の段階で、私はこういう活動を各市町村でやっているという、あらゆるジャンルの方々が発表したいと言ってこられた。それをブワーって持ち込んでしまうと大変なので、コーディネートするグループのところでちゃんと一旦整理して、それでも、79日間という限られた時間の中で、限られた場所ではすべてを受け入れられなかった、これはとても残念なことですけれど、涙をのんで、どうしてもそこでふるいをかけないといけない。これは仕方のないことでした。それで、それを県にやらせるのではなくて、僕等がやろうということになったんです。ただ、それは、ステージの上でイベントをしていただく方だけではなく、そこで発表するものはなくても、自分が住んでいる大好きな山口県で博覧会があるんだったら、縁のしたの力持ちでもいいから、何かお手伝いができないだろうか、ステージの横でかたずけるだけでもいいから、あるいは会場内のお掃除ならできる、迷子の子供に声を掛けて助けてあげることだったらできる、手話を習ったから手話だったらお手伝いができる、そういう方たちがいっぱい集まってきてくださいました。今まで約12,000人の方が、我々がコーディネートした「きらめき隊」という、子供からおじいちゃんまでのボランティアです。とてもうれしかったのは、家族のグループがすごく多かったことでした。家族のグループで大掃除を担当しますとか・・・すごく頼もしかったですし、ほほえましかったです。こうやって家族が一緒になって、ゴミのことなど話し合える家庭って本当にすばらしいなって思いました。それと、印象的だったのは、中学生の女の子達のグループがあって、記念写真のカメラのシャッターを押しますって、ただそれだけなんですが、これは後からフィードバックでみなさんにとても喜んでもらえました。そういう風にいろんな所で、なにげないことでも、自分たちの持てる力だけでできたボランティアがたくさんありました。

自慢して言っている訳ではないんです。すべてがうまくいった訳ではないので、時にはお叱りを受けたりもしました。この時に僕たちが感じたことは、山口県が捨てたもんじゃないということです。――12,000人の方が参加したのですから―― 一番最初にスタートして立ち上げた時は、本当に来るのだろうかと思っていましたが、僕たちがやったことは、「こういうことをやりますが、みなさんこの指に止りませんか」という風に声をあげただけなんですけど、その指に止ってくださった方が何と多かったことか。これはもう涙が出るくらいに、募集のパンフレットがウワーッと還ってきた時に、みんなで本当に喜んだんです。何故かというと、大変失礼な話ですが、僕も含めて、それまでの山口県人はぜったいこんなことには出て来ないぞ・・・と。博多の友達から、何で山口県の人間はあんなにプライドが高いんだって言われるんですが、ブライドが高いわけではなく、すごくシャイなんですよね。博多の祭り好きな人達に比べると、地域のお祭りなんかでも、なかなかよそものの人が垣根なしに入れる県民性ではないというか、でも、しつこく後ろから押されつつも参加して一緒にやってると、さっきまでの遠慮は何だったのというぐらいの関係になる――人見知りというかシャイなんですかね。不思議ですよね。しゃくでしょうがなくて、そう言われるのが。エネルギーを持っているんだぞ、山口県の人間も・・・って、何とか証明したいなって思っていたんです。

<山口県が大好きになったきっかけ>

そのきっかけになったのは、僕はマンガ家という仕事ですが、不思議なご縁があって20年前位にテレビ山口の「おしゃべり土曜日」という番組でレポーターとして日本全国の取材をしたりしたのですが、実は県外に出てそんなに印象に残っていることはないんです。むしろ県内の56の市町村を取材している時の方が、印象深くて・・・。その番組の中で「飛び出せスタジオ」というのがあって、スタジオを飛び出して各市町村のおもしろい所やいろんな名物なりいろんな人を訊ねて歩いてお話して、それを後で僕がイラストにして感想を視聴者に見せるという内容でした。それからTYSの「ふれあいの道」というのを担当しまして、中国5県が持ち回りで地元県の自慢の市町村を選んで紹介するというものでした。その後、FM山口さんから声が掛かって、山口県のおもしろい人に会ってインタビューする「大好き人の国山口」という番組をやりました。不思議なもので、これらの3件は同じ様なコンセプトの番組だったんです。そうして、山口県のいろんな所を回ったんです。これらの経験が、僕にとってみると、ぜったい山口県は離れたくないなって思う位に山口県が大好きになるきっかけだったんです。

で、先程も申しましたようにどうも山口県民性に対しての誤解が多くて、住んでいる人たちにとっても何か・・・(中略)・・・でも、まとまりがいい県なんです。プライドが高い訳ではなく、ただちょっと隣の市町村とのネットワークづくりがへたというか。・・・(中略)・・・例えば、祭りを隣の市と同じ日にしたりとか・・・なんかパイプが危ういんですよ。・・・自分の町に住んでいると気が付かないんですが、僕みたいに何回もぐるぐる回っていると、各市町村のパワーっていうのがすごくあるんですね。・・・いろいろなおもしろい活動をしている方もたっくさんおられて・・・

そういう方々が、そういう地域が、外からも見えないんです。中に入るとそういう人達がいっぱいいる。実はすごくエネルギッシュな人達の集まりだなと。じゃないと、「世の中をあんな風に変えられんじゃろう、あの時代に」と思いだしたんですね。だから、本当に惜しまれるのは、それを外に向かって発信するということがものすごく苦手なんです。自分の地域だけで、ものすごくエネルギーが高まっている。ただ、それを全然使っていないというか。山口県って、広島とか博多みたいに大きな大都会があって、それを中心にというような――(これからは合併とかで変わって行くでしょうけれど)――現時点で大きな町がなくて、非常にペタンとしてどこが中心地なのって言われますけども、逆にすごくボトムアップした県なんですね。全体としての各市町村の水準がすごく高いんですよ。低い所と高い所のエネルギーの差があまりないんですね。それを、ひしひしと感じていましたから、何か外に向かって発信するのがへたな、この山口県の持っているその部分を、何かできないかなと思っていたのが、このチャンスだったんです。僕にとってですよ。何かひとつ目標があると、ひょっとしたらそれに向かって、今まではちょっと内向的で引っ込み思案なエネルギッシュな山口県民が、ポンッて集まってくるんじゃないかな――という期待がちょっとありました。

そういう前振りというか、自分の中での思いが、取材を通してありましたから、実はここで「きららネット」を立ち上げてきた時に、絶対集まってきてくれるよな〜っていう思いがどっかにやっぱりあったんですね。不安ではありましたけど。そうして、延べ12、000人という方たちが集まってがんばってくださった。ただ、全部やりたいという方もあったのですが、応募した方の人数の関係上一人3日間のボランティア活動しかできなかったのです。
そうして喜んで帰っていただいて、でも、皆さんのもうちょっとやりたかったという気持ちがあった。そんな皆さんが地域に帰って、今度は地域で自分たちがリーダーとなって、少しずつその輪がふくらんで、活動の経験が広がって行っているというのを、多少この約1、2年経って聞こえてくるようになると、「ああ、やっぱりやってよかったんだな」って最近思うようになってきています。これがなかったら、山口県人があんなに集まってきて、エネルギーを持ってて、実はひとつになって何かできるという証明ができなかったのではないかと。それだけでも、山口きらら博というのは大きな資産を残しているんだなという思いを持っています。
この時に、もちろん環境のこともずいぶんやりました。この「きららネット」というグループの事務所「きららハウス」を作った所の隣がビオトープでしたし、環境問題を扱うフィールドとかも作りました。「エコハウス」なんていうのもありました。今は移転していますけど。ですから、環境に関しても、従来今までに行われた博覧会で言われていた、想定していた一人当りのゴミの半分以下でした。それもボランティアの人達が、全部分別ゴミの入れる所にみんなが(子供たちもですよ)分けさせたんですね。そういう活動を、ちゃんと彼ら若い人たちが率先してやったんですよ。それでゴミを減らすことができたんです。もちろん来場者の方々の協力もありましたが、彼らボランティアスタッフの活動の信念に基づいた、自分たちの思いからの自主的な活動が実を結ぶということを、僕たちは経験しました。

何故実を結べたかというと、僕たちは持てる力以外のことをするなということを言い続けたんです。ボランティア活動というのを続けるため――自分の持っている得意な部分を十分に活かせるような活動をしましょう――ということで募集をしました。家庭や仕事を犠牲にしないように・・・自分が普通に生活をしていて、ちょっと時間が余りました・・・では、その時間を使って何かできないかな・・・自分ができる範囲で・・・ボランティア活動をしないと、メインがどっちだったのか解らなくなるので、無理はやめましょうという話を僕はし続けました。それで、これだったらできるということで、子供たちも手伝ってくれたんですね。最初にできることを書いて下さい――と、募集しましたから。

<「きららネット」の活動>

その時のグループ「きららネット」はきらら博が終わって解散というのではなく、今は、子供達に少しずつ「環境のことを考える何かきっかけづくりになってくれればいいな」という活動を去年から始めまして、今年は2期生ががんばってくれています。次の時代を担って行く子供たちに、基本的に「環境を守ることは当たり前」という意識を持ってもらいたい。難しい学習プログラムを専門的な先生がやるのではなくて、絶対に体験させて学ばせましょう、それがお約束です。文章の上とか、スライドを見せるとか、映画を見せるとかではないんです。解らんことがあったら、お前らやってみいやって感じです。去年も今年も30人位で、きららネットのメンバーは25人位参加します。ほとんどマンツーマンというか、スタッフに子供ひとりという感じです。1年間を通して年8回いろいろな体験をさせようということでやっています。最初の1回目以外は保護者は絶対に参加させません。子供だけで、厳しいです。

今、子供は家庭内で甘やかされていますから。もうお客さん扱いですからね。学校から帰ったらお疲れ様・・・塾から帰ったら大変だったね・・・ご飯は作ってあるから・・・早くお風呂入りなさい、沸かしてあるからね・・・だんなはほったらかしですよね。子供は車で送り迎え、だんなは自転車とか。子供に妙に気を使ったり、はれものにさわるように扱ったり、そんな親が多いですよね。犬と一緒ですよね。ペット扱いと言うか。でも、ペットでも、一番強いものの言う事は聞くようにしつけますよね。だから、子供を叱る時は必ずお父さんが叱るとか、親としての権威というものをきちんと見せておかないと大変なことになるな・・・という危機感を感じますね。子供はちゃんと見ていますから、大人がずるいことしていると、ぜったいずるいところにめざといですよね。子供の前では、かっこいい大人を気取るくらいの見栄が大人に欲しいですよね。それで、親から引き離して、いろいろな体験をさせる。こっちから教えるのではなくて、いろいろな体験をさせて、解らないことがあれば、最後に初めて専門家の先生に聞けるという場を作る訳です。

おもしろかったのは、スーパーでお買い物――環境にやさしいと思うものを1,000円以内で買っていらっしゃいということをやった。大きなスーパーでいろいろ買ってきて、タッパーウェアとか自分のうちにないものを買っているんじゃないかとも思ったりしましたが・・・。その後、近くのふれあいセンターでみんなでそれを並べて、何でこれを買ったのかを話すわけです。これはずっと使えるから・・・さっきのタッパーウェアみたいなものは、余りものを入れられるので無駄がないからとかって言うんですね。そうやっていろいろ子供が買ったものを書きだして、来てもらっていた消費生活アドバイザーの方に、この時に初めてにそれの内容ついて話をしてもらっていました。そして、いろいろやった中で、調味料のビンがありまして、上がプラスチックでになってて、リサイクルに出すため蓋をはずす時に、すぐはずれるものと、ペンチでやらないと取れないような頑丈ではずれにくいものがあったんです。「何故こっちにしたの」とか話していた時に、子供が「リサイクルできると思って買ったんだけど、こっちは180円でこっちは150円だった」つまり、リサイクルできる方が高くて、できない方が安かったんですね。それで、これは当然主婦であれば、「何で150円の安いほうを買ってこなかったの」とおかあさんは怒る訳ですね。子供は一生懸命考えて、高いけどリサイクルできる方が環境にやさしいからと思っていても、この時に「環境はどうでもいいの!」なんて言ってしまうと、台無しになるんですけどね。子供はまだお金のこととかは関係ないですから、単純に環境にやさしい高いものを買った。この時に、リサイクルしやすい方がよくても、家計のことを考えると安いリサイクルしにくい方を買わないといけない・・・そういう話でよく終わってしまう。我々の特殊なところは、ここにそこのスーパーのマネージャーを呼んでいるんです。いろいろな疑問が子供たちから出て、「どうして値段が違うんですか」とか子供が言うので、スーパーの人は困る訳ですが・・・。子供はすごいですよね。値段がついて並んでいるから、大人は疑問も持たずに買っていますが、子供は「はい」って手を挙げて「リサイクルしやすい方が高いのはおかしいから、安くした方がいいと思いま〜す。どうして150円にならないんですか。」なんて、平気で言うんです。正義感が強くて・・・子供って。「リサイクルできるいいもののはずなのに、高いのはおかしい。こっちも150円にできないんですか」という話をしたら、どういう経緯か詳しくは知らないんですが、実はこれ150円になったんですよ。子供が動かしたんです、そのマネージャーさんを。スーパーの人たちが「そりゃそうだね」という話になりまして・・・。もちろん消費者団体の方たちが、あれこれ言うのもものすごく大切ですけれども、子供のそういう純粋な疑問とか、大人の世界に対する不思議なおかしさというか、憤りというか、そういうものが動かすこともある。これがきっかけづくりだなと、僕たちは思ったんです。今回はたまたまかもしれませんが、やはり子供の目で見て、環境のここを変えていかなくてはならないとか、ここを今からは守っていかなければならないとか、そういう発言はすごく大切だな、と感じています。この後も、いろいろ水辺の探検とかもやりましたし、ビオトープに連れて行ったり、秋吉台の山焼きする前の草刈り体験とかもしました。その中から、自分たちが関わることで見えてくるものを子供たちに大切にしてもらって、子供の力で解決することがものすごく大きいということが解りました。

<真っ白な子供たちの心>

子供たちはもとの画用紙の白色を見ているんです。これは、すごく大切なことです。子供の心を真っ白なキャンバスに例えたりしますね。本当に子供たちの眼を見ていて、子供たちの発言を聞いていると、彼らは、環境に例えて言いますと、真っ白な状態というのを知っているんですね。ぼくらは、大人だけではなくて、地球全体を考えるとそうなんですが、この上にいろいろな色を塗りすぎてしまいました。一回きたない色で塗った画用紙って、もうもとには戻せないんですよ。これはすごく悲しいことですね。塗る時はあっという間に塗れるんですが、調子にのっていろいろな色を塗っていくと、だんだん混ざってきて、結局きたない色になってきたりする。高度成長の日本とか、地球が今そういう状況なんですね。日本がきたなくなったのもそうなんですね。きれいな色にするために、戦後日本人は一生懸命がんばって色を塗ってきたはずなのに、どんどん調子に乗って、よかれと思いながら色を塗りすぎたが為に・・・。例えば、筆洗いの水って、最初は一色ですが、いろいろな色を洗っているうちに、気が付いたらドブ色になってるってことあるじゃないですか。あれと一緒で、このドブ色に慣れてしまったら、実はこの色の上にプルシアンブルーとかエメラルドグリーンとかのきれいな色をのせても、もう色は見えないんです。子供はまだ真っ白な画用紙を自分で持っていますから、大人たちがきれいな色で話をした時にその色で見てくれるんですね。これはすごい。私たち大人は自分たちのしたことを反省して、地球を白色に戻さないといけないという作業をしなければならない。守っていくという作業も必要ですし、それを復活させようという作業なども大切なことでしょう。これを白色に戻したり、復活させようという作業がきちんとない限り、この上に新しい色をドンっと置いていっても、きれいな色――環境にやさしい色は見えないということに、僕たちは気付かなかったんですね。それで、少しでもきれいな環境に戻すための取り組みを、少しずつしていかなければならないのかな。また、そういう活動をしている皆さん方の、ちょっとでもお役に立てることがあればいいなと思っています。

<山口県という宝物>

僕は4年間大阪にいて、油絵描きになろうと思って勉強していました。その時に、都会は自分に合わないなと思ったことがありました。それは、川がきたないということと、夜に星が見えなかったということです。今は違いますが、20数年前のことですから、その頃はまだ光化学スモッグとかが出ていて、大阪がひどい状態の時だったんです。本当に夜に星が見えなかった。18歳までは、朝起きて自分の部屋の窓を開けると、田園風景が広がっていてというロケーションだったんです。17年間朝起きて戸を開けて深呼吸すると、鳥が鳴いててきれいな青空が見えて・・・近くの厚狭川の水はとうとうと豊かに流れていて、そこで魚を取ったりカニを取ったり泳いだりして遊んで、あぜ道を自転車で走って・・・こういうことをしていた子供が、大学の4年間、6畳一間の陽の当たらない狭い部屋に閉じ込められて、空は見えなくて昼間の2時でも電気をつけないといけない部屋で暮らし、外に出ても空気はきたない、水道の水は消毒液臭いし、川の水はメタンガスの匂いがして、人も車も多い・・・(大阪の人に悪いですけど)自分には絶対この環境は合わないと思ったんですね。それで、この自分の仕事を得た時に、一生懸命この仕事をやりたいと思ったんです。絵を描くことに自分のポジションが見つかったなと、これを活かせる自分の持っている持ち場(さっきのボランティアの話のように)を大切にしようと、油絵では敷居が高すぎて、結局マンガを描く仕事についた訳ですが、せっかくついた仕事を精一杯やりたいし、いい仕事をしたい、いいマンガ家になりたいと思いました。で、東京に来て仕事をと言われたりしたんですが、合わない都会で仕事をすることで、エネルギーを無駄に使いたくないなというか、そんなこんなで山口に帰らして下さいと言ったら、バカかと言われました。当時は20年前ですから、東京からすべての情報が発信され、東京にいないと何もできない時代でしたからね。今はそんなことはないです。メディアも発達したりして地方でも仕事ができるのは当たり前になりましたけど。でも、当時はいろいろあって結局山口県に帰ってきて、こちらで仕事をしていると、その方が自分に合っていることがやはり解りました。そういう風にずっと山口県で仕事をして、地元定住型と言われているにもかかわらず、気が付かなかったことがひとつあります。東京の友達にいつものようにずっと絵を送っていて、こんなに長くこちらで仕事をしているのに、それなのに気がつかなかったことです。

田舎の風景を描く時に、こういう風にまず農家を描いて、まわりに田圃があって、小川が流れていて橋がかかっていて、これにちょっとトトロの出てきそうな小高い森があって、鳥居があったり石段が見えたり、電柱があって、ずっとうしろの方に竹林があったりして、遠くに山が見えています。僕がこれにいつも書き加えるのは、ずっと向こうに半島が見えて、水平線が見えて、漁村があって、海辺にトンネルがあって在来線が通ってて、船が浮かんでて、沖に島が少しあって、ずっと向こうにまた島陰が見える。こんな風景がすごく好きでしょっちゅう描くんですが、どこにでもありそうだけど、実際はどこにでもはありえない風景なんです。これを皆さん方はそんなに不思議としては見られないですよね。山口県の人たちは。これを東京の友達とか編集部の人たちに見せると、「かぜさん、何で農家と漁村が一緒にあるんだ」と言うんです。向こうの人は、海彦山彦というか、別ものという発想が強いんですね。漁村は漁村部にあって、農村は農村風景じゃないかって言う。山口県は3方向を海に囲まれてて、すごく高い山がないものですから、どっかこう海側の町に行くと、ちょっと小高いところから見ると、山陰側でも山陽側でも、まるっきりこんな所がありますよね。そういう風に「農業と漁業とがひとつの風景に入っているということが僕等は当たり前だよ」と東京の人に言うと、めずらしい風景だって・・・。これを20年間気がつかなかったんです。僕はずーっと描いてたのに・・・。以外と、こういう風に、僕等はものすごい宝物を持っているなというのを最近非常に感じています。


<さいごに>

絵を描くということを通じて仲間に入れてもらって、その中から自然と環境学習のグループとか保全のグループとかと関わり合いができてきて、子供たちとも活動をしたりしながら、いろいろ僕も勉強させていただいてる途中でございます。これができるのも、20数年前に東京を選ばなくて地元に戻ってきて、自然の中で山口県の本当にすばらしいところを見せていただいて、大好きになったおかげだなと思っています。そういう風に山口県に感謝している部分がたくさんあるんですね。これからも、皆さんとできれば一緒に協力をしながら、山口県をもっともっと真っ白な画用紙に戻していく活動をして、そこに子供たちがきちんと赤なら赤、青なら青、緑なら緑という絵がこれから描けるような、環境作りときっかけづくりを同時にできていければいいな、とそのように思っております。

休憩をはさんで、

後半は、机をまとめて、参加された皆さんとディスカッションとなりました。


参加された皆さんありがとうございました。
第2回はコチラ